カウンセリングルーム
とちぎ ねいろ

私について1⃣

2020.05.4子育て日記

私がなぜ、心理カウンセラーになったのか・・・私自身もたくさんの悩み苦しい時を経験してきました。しっかり自分と向き合い、自分の声を聴けるようになったから 今、大切にするものを大切にできています。私の人生を歩けています。Gw・・・私について書いていきます。読んでいただけたら嬉しいです。

子供たちが不登校になって・・・

今から9年前、長女が不登校になりました。当時小学2年生。GW明けから腹痛を訴えることが増え、休ませた日もありましたが、熱もなかったので行ってしまえば頑張れると思い強引に行かせていました。段々状況は悪くなり「学校に行きたくない」と・・・

学校に行きたくない この言葉を受け入れられなく、私の頭の中は「どうして?」「何が起きているの?」「うちの子が学校に行きたくない?」ぐるぐるいろいろな言葉が聞こえてきました。

数日休み、付き添い登校をし学校に行くようになりました。私の中に学校に行かないという言葉はなく、ダメになってしまう・何とかしてあげなきゃ 子供の気持ちを理解できず自分の不安を消したくて、よい母を頑張っていました。これも愛でした。

小2~小3は、教室・保健室・別室を付き添い登校する日々でした。

娘を抱けない私

小4になり、私の焦り、不安は少しずつ大きく積み重なり いつになったら学校に行くの?何で行けないの?と責める言葉が増え 学校からの言葉に私自身涙することが増えてきました。そんな私の期待に応えようと、悲しませないように娘は「明日は学校に行くからね。」と 夜になり明日が近づいてくると吐き気と過換気症状が出るようになり、ビニール袋を抱え背中をさする夜が続きました。

吐き気に襲われ恐怖から、私に「お母さん気持ち悪いよ~助けて」と助けを求めてきました。そんな娘を抱きました。しかし抱こうとする手に力が入るのを感じたのです。形は抱けますが、心が苦しかったのです

心理学との出会い

心から抱けない苦しさ 誰にも話せない苦しさを感じながら過ごしていました。インナーチャイルドセラピーに出会いカウンセリングを受けることに。私の幼少期の寂しい感情がふたされたままに消化されずに体の奥にあったのです。私は子供のころいじめられていました。学校も行きたくなかったのですが、行かないことは許されず、自分の気持ちをないことにし学校に行っていました。母にもいじめのことを話したのですが、母から帰ってきた言葉は「そんなのに負けない。いあかないと負けてしまうよ。」

私の本当の気持ち、怒り・悲しさを声にし、本来の自分に近づいていきました。私が本当はどんな言葉が欲しかったのか

「つらかったね。」その一言が欲しかった・・・・・

自分の内面との向き合う時間

ピンチはチャンス  子供たちの不登校は、私が自分の内面と向き合うきっかけとなり、自分らしく生きていけるよう その機会を与えてくれました。インナーチャイルドをいやすことで、心から抱けるように変化していきました。

次回は、私が向き合った時間。両親との問題について書きたいと思います。大好きだった母 私が幸せにしてあげたかった母を恨むとき。恨みから感謝に

是非読んでください。