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とちぎ ねいろ

小学校卒業を迎えて~次女~

2020.03.27子育て日記

子供の成長・母として育てられた6年間

今年度次女が小学校卒業を迎えました。幼少期から初めてのことに敏感で、音の対しての敏感さもありました。

1年生 登校時一緒に歩いていきました。学校でも不安が強く廊下での付き添いをしました。母の姿が見えることで安心できたようです。

2年生 先生の生徒を叱る声にドキドキし怖いと感じ、学校に行くことを渋るようになりました。保健室・別室で過ごしながら学校に慣れていけるよう寄り添いました。

3年生 クラス替え担任が変わり完全復帰しました。クラス替えをチャンスに戻るんだと決めていました。3年生後半はエネルギーが減っていき休む日が多くなっていきました。このころ「どうしてこんなに学校が疲れるんだろう。苦手なんだろう。何か自分にないか見てもらいたい。」発達を診断することになる。診断は自閉症スペクトラム障害でした。そこからリハセンターでのSTとのリハがスタートしました。ゲームをしたり声にする練習など・・・あとは自分に厳しいルールを作ってしまうところもあり、なかなか緩くできないこだわりがありました。それも緩めていけるようかかわっていただきました。

4年生 学校への不安強く、別室登校したり、夕方登校し担任の先生と勉強したりお話したりする形で登校しました。4年生の終わりに学校以外の場を見学に行き、希望するフリースペースは空きがなかったため、市内の適応指導教室に通うことを希望し手続きをしました

5年生 6年生 適応指導教室に毎日通級 時々夕方学校に行き担任の先生と話をする時間を取りました。6年間いろいろありましたが、すべて宝物です。理解してくださった先生方にも感謝です。

中学校に行ったら

『学習室を使いながら、適応指導教室に自転車で通ってみると』

この6年間で、自分の気持ちを声にする力が成長しました。やらなくてもいい・みんなと違ってもいい・自分の心の声を自分でキャッチできる力がついてきました。私がどうしたいのか を大切にできるようになりました。娘の木の幹は太く成長しています。まだ成長の途中ですが、木の葉や実ばかり見るのではなく、根っこ幹に栄養が行くように、これからも子供の可能性を信じ、応援していきたいです。

子供たちの港

子供たちにとっての港でありたい 荒波に一緒にのまれてしまうのでなく、戻ってこられる港でいたい。

娘のとってどんな中学校生活になるのかわかりません。いろいろな道があっていい。夢に向かっていきたい

次女の夢は、私と親子で不登校の子供たちの居場所となるフリースペースを作ることです。いつかさくら市にもう一つ子供たちが安心して悩んだり学んだりできる場を家族で作りたいです。

子供たちから私はたくさんのことを学び母として成長の場をもらってます。自立というゴールを見て進んでいきたい。

一番の応援団でありたい

卒業おめでとう